こんにちは、ゴロ―です。
本日の記事では、障がい者スポーツを応援する時、こんな「想い」を抱きながら見てほしいという点についてお伝えしていきたいと思います。
パラスポーツという言葉ではなく、あえて「障がい者」スポーツという表現を使用しましたが、結論から先に言ってしまうと、障がい者が行っているスポーツではなく、アスリートが行っているスポーツという観点を持って応援していただけると嬉しいです。
元々は健常者のスポーツを行っていた自分が、パラスポーツに関わるようになっていった者として、以前にパラスポーツに対して抱いていたイメージなども絡めながら、書き進めていきたいと思います。
Contents
健常者として抱く、パラスポーツに対するイメージ
私が病気をする前に、もともと抱いていた「障がい者」スポーツへのイメージというものが、一般的な健常者の皆さんが抱くイメージに近いと思いますので、まずはその時の感覚からお伝えします。
そもそも「障がい者」スポーツというものの存在自体をほとんど知らなかった記憶があります。メディアが取り上げることが少ないことも理由だと思いますが、車いすテニスの国枝慎吾選手をかろうじて知っているくらいでした。
そういった点では、東京パラリンピックに向けて、最近ではメディアで取り上げられることも増えてきたということは、大きなチャンスだと感じています。
また、「パラスポーツ」という言葉を知らなかった、少なくともこの言葉を使ったことはなかったと思います。あまりこだわりすぎるのも良くはないかもしれませんが、「障がい者」スポーツという言葉よりは、パラスポーツという言葉が自然と浸透していくことが望ましいのではないかと思います。
実際、選手自身からそのような気持ちが発せられることもありますし、パラスポーツの各団体も、意識して「パラスポーツ」という表現を使用していることが多いです。
もともとパラスポーツを見る機会はほとんどありませんでしたが、パラリンピックなどで実際に見ることがあると、障がいがあるのにスポーツを頑張っていてすごいな。頑張っているんだから応援してあげよう。といったような、今思えば上から目線のような見方をしていたのかもしれません。
これでは、スポーツを見ているというよりは、障がい者が頑張っている姿を見ているということになってしまいます。プレーしている本人たちからすると、あまり好ましくないことではないかと思います。
当事者となり感じる、パラスポーツに対するイメージ
自分が病気をしてパラスポーツに触れていくようになり、ハッキリと分かることの1つが、同情はいらないということです。
これは、スポーツの世界に関わらず、日常の中で全体的に感じることです。確かに、不自由なことはたくさんありますし、できること・できないことが出てきてしまいます。
でもそれは、別にかわいそうなことではなく、事実を受け止めながら、今できる範囲の中でやれることをやっていくということに過ぎません。
私も以前は、電車の中や街中で障がい者の人を見ると、可哀想だなといった憐れみのイメージを持っていたと思いますが、あまりそういった目で見られることに関して、望んでいない人がほとんどだと思います。
乳がんを患った生稲晃子さんが、何かの番組(忘れましたが)でおっしゃっていたことが端的で分かりやすいなと思ったことがありました。
「同情はいらない。ただ、理解と協力をしてくれると嬉しい」というような発言だったと思いますが、病気や障がいに関わらず、その通りだなと感じます。基本的には普通の1人の人間ですので、可哀想だからやってあげようではなく、出来ないことを手伝っていただいて、補っていただけることが嬉しいですし、助かります。
・同情や偏見の目を向けるのは、当事者は嬉しくない。
・可哀想という感覚はNG。理解と協力を示してあげよう。
アスリート(競技者)目線から考えてみると?
自分自身が上記のような想いを感じるようになった中で、パラリンピックに出場するようなアスリート目線(競技者目線)から考えてみると、一言でいうのであれば、1人のアスリートとして見てほしい・扱ってほしいということではないでしょうか。
ともすると、障がいがあるという先入観から、同情や偏見を持ってしまいがちですが、障がいがあるのにこんなに頑張っていて感動しました!ではなく、あのプレーがすごくて感動しました!という目線で見てもらえると、競技者としても嬉しいのではないかと思います。
私自身の経験としては、寝たきりの時期が長かったこともあり、障がいがあっても動けることが、ましてやスポーツに挑戦できて輝いている選手が羨ましいという感覚からスタートしていますので、哀れみの目を持つことは全くなかったです。
スポーツの世界において、健常者だから、障がい者だから、ということは関係ないのだと思います。たまたまどこかに障がいはあるかもしれませんが、それは1つの個性と捉え、その中でベストパフォーマンスをしていく「アスリート」という視点を持っていただければと思います。
・障がい者スポーツの選手ではなく、1人のアスリートとして扱おう。
・頑張っている姿ではなく、プレーそのものを応援しよう。
当事者意識を持ってパラスポーツを応援できると理想
最後に、こういった感覚でパラスポーツと向き合っていくことができたら理想であると、私が考えていることを述べていきたいと思います。
皆さんがスポーツの世界において、チームや選手を応援するのは、頑張っているから応援するわけではないですよね?そのスポーツが好きだったり、憧れや尊敬の選手がいて応援しているのだと思います。
パラスポーツにおいても、そんなごく普通の状況が生まれてくることが理想的ではないかと思います。そのためには、パラスポーツの競技や選手を知っていただいて、応援する人達に当事者意識を持っていただくことが必要になってくると思います。
最近では、体験イベントなども増えてきて、場合によってはトップ選手と触れ合う機会もあるかと思います。そういったイベントに皆さんにも積極的に参加していただきたいです。一度体験してみると、選手のプレーのホントのすごさが分かります。
そして、そのためにもスーパースターの存在がこの先出てくると良いですよね。イチロー選手や三浦和義選手に偶然出くわしたら、握手を求めたりしたくなりますよね。福原愛選手の存在が卓球人気を作り、五郎丸選手のポーズが注目されたことがラグビー人気に一役買いましたよね。
そんな風に、パラスポーツの世界においても、誰もが知るようなスター的な存在が出現することが理想的だと思います。そこから、障がい者と健常者という関係ではなく、選手とファン・サポーターというごく当たり前の関係性が、この先出来上がっていくことを期待しています。
・競技を好きになってもらい、選手に憧れを持ってもらうことが必要
・誰もが知るスーパースターの出現が理想的