こんにちは、ゴローです。
本日の記事では、病院で全ての病気を否定されてしまった後、なんとか自力で病名を探していた時期、探す余裕がまだあった最後の時期について書いていきます。
病名が見つからないと、精神・メンタルの問題ですね、で片づけられてしまうことが多い現在の医療体制。でも、そんなことで片づけられたくなかった当時、何か手がかりがないかと、一生懸命探していました。
そこでたどり着いた1つの可能性。
「脳脊髄液減少症」という病気でした。
最後の心療内科の通院へ【12月2日】
こちらの記事の続きになります。
11月後半、打つ手のなくなった僕は2つの勝負に出たものの、上の記事のとおり、勝負に勝つことが出来ず、さらに悪化していきました。
そんな中、半信半疑ながらも、他に選択肢が無くなってしまったため、この日は通っていた心療内科の病院へ行きました。
そして、結果的にこれが最後の通院となりました。というのも、2週間後に僕は、完全に寝たきり状態になります。自力で通えないどころか、車で送ってもらっても無理な状態にまで追い込まれていってしまったためです。
脳脊髄液減少症という病気の可能性【12月】
打つ手がなくなったといっても、自分で病名を探すことは諦めませんでした。
手がかりは自分の症状くらいしかないわけですが、周りの人の手も借りながら、この時期は調べに調べまくっていましたね。
そして、ついに1つの可能性が出てきたのです!
それが、「脳脊髄液減少症」という病気でした!
今では、この病名を見聞きするだけで、0.3秒くらいで反応を示す僕ですが(笑)、この当時は聞いたこともない病名でした。そもそも脳脊髄液という言葉すら知らない時期です。
この病気の詳細などについては、また別の記事で紹介していきますが、頭痛・頚部痛・めまい・ふらつき・倦怠感など、とにかく僕の持っていた症状とドンピシャだったのです。
ついに見つけた!頼む!この病気であってくれ!藁をもつかむ思いで、この病気を確定してくれる病院を探していきました。
新しく、神経内科・頭痛外来の病院へ【12月8日】
脳脊髄液減少症にちがいない!
とはいっても、普通の病院ではなかなか診てもらえないのです。というよりは、医師の中でもあまり知られていない病気というか、この病気を認めていない医師もいるようで。保険の問題なども含め、2015年当時はまだまだ複雑な問題をかかえた病気でした。
そんなわけで、健康保険が認められず自費診療となる病院(神経内科)へ行きました。脳脊髄液減少症も含めた、難治性頭痛のセカンドオピニオンに強い病院ということだったので、僕の最大の症状であった頭痛から導き出されました。
そして、問診・検査・点滴(この病気に有用な手段なため)などを通して、おそらく脳脊髄液減少症でしょう!ということになりました。
やったあ!ついに病名がついた!
もちろん、こんな風に喜べるような簡単な病気ではないし、あまりにもきつい症状が軽減されたわけでもありません。
それでも、病名が見つからず、たらい回しになっていた当時の僕にとっては、疑いであっても病名がついたことが嬉しかったわけです。
脳脊髄液減少症といったら、熱海病院の篠永正道先生!という有名な先生がいらっしゃるのですが、かなり先まで予約が埋まっている先生なので、僕も紹介してもらって、いずれ熱海までブラッドパッチという治療を受けに行こう!という予定でした。
しかし、1週間後に大悪化し、寝たきり生活に入る僕にとって、熱海に行けるまで予約を待つなんて、そんなことを言っている余裕はなくなっていくわけですが…
※久しぶりに脳脊髄液減少症について調べていたら、2021年7月をもって、なんと篠永正道先生は熱海病院を辞められていました。もう高齢ですからね、仕方ないとはいえ、脳脊髄液減少症で苦しむ患者にとっては、かなりの痛手だと思います。
話を戻して。この日は調子が良い日だったので、病院の後にカフェに行きました。今思えば、これが最初で最後だったわけですが。
写真まで残っていてビックリ!そして、ケーキまで食べていてビックリ!笑
この先の道筋が見えた氣がして、体調も少し良かったし(この日だけ、というかこの数時間だけでしたが)、このまま治っていくんじゃないか、そんな風に思えた時間でした。
ちなみにこのカフェで、帽子を忘れてしまったのですが、そんなことも何だかいい思い出ですね、今となっては(笑)
この日から日記・手記を書くことに【12月10日】
病院の翌日、期待していたモノはまたもや裏切られ、朝からずっと体調最悪で、ほぼベッドの上でした。
さらに翌日の10日。この日から日記というか、ノートにちょっとした感想などを書いていくことにしました。この日から始めたのも、偶然ではなかったのかもしれません…。
数日後に、「ホントのホントの限界」がやってくることを、無意識のうちに感じていたのかもしれません。今読んでみると、ノートの1ページ目から、かなりの辛さが伝わってきます。そして、2ページ目で限界を迎えています(苦笑)
このシリーズもついに、次回の記事が最大の山場になります。人生最大に怖かった日、さらなる大悪化を迎えた「あの夜」について…、新しいステージが始まっていきます…。
次回につづく。