インタビュー記事

【発達凸凹の息子やうつ病の経験などから学んだ!】アムール・デュ・ショコラを成功に導き、独立起業から次なるステージへ!(40代女性・犬飼奈津子さん)

 

こんにちは、ゴローです。

本日の記事では、株式会社Wo-one(ウーワン)代表の、犬飼奈津子さんにインタビューさせていただきました。

犬飼さんは広報の業界ではかなり有名な方で、犬飼さんの名前を知らない方でも、「アムール・デュ・ショコラ」という催事のことを知っている方は多いのではないでしょうか?

今では毎年、東海地方の超名物イベントとなっている、バレンタイン催事「アムール・デュ・ショコラ」で、30億円を超える売上に貢献し、ジェイアール名古屋タカシマヤの広報として15年間活躍された方こそが!今回インタビューを引き受けて下さった犬飼さんです。

一部では「押しが強すぎる広報」と呼ばれており(笑)、最近では「伝説の広報」として取り上げられることも増えてきています。

そんな輝かしい経歴を持つ犬飼さんですが、実はその裏で、辛い経験や挫折も数多くされています。今回のインタビューでは、広報としての実績や仕事の内容というよりも、犬飼さんの「歩んできた人生」、よりパーソナルな部分を中心にお届けしたいと思います。

僕自身が大切にしている言葉である、「人生において無駄なことは、何一つ起きない」ということを、犬飼さんの人生が教えてくれています。

この記事を読んでいただければ、数多くの挫折がありながらも、むしろ挫折があったからこそ、犬飼さんの「人生」としてのステージが上がっていくことが分かっていただけると思います。全てを読み終えた時に、皆さんの中に何か、パワーや勇氣となって湧き上がってくるものがあれば、この記事を書いたものとして嬉しく思います!

Contents

まずは幼少期・学生時代について、貧困生活やいじめ、母親のうつ病などをご経験されたということですが、そのあたりについてお聴かせ願いますか?

幼少期・学生時代はかなりの貧困家庭で育ちました。3姉妹の長女だったこともあり、自分がしっかりしなくては、という考えが常にありました。

また、母親がキリスト教にはまった時期があり、自分も教会に通ったり聖書を読んだりするなど、時間を費やすことが多かったです。それにより制限されることも多かったですが、今思うと、聖書での教えが今の自分の原点にもなっていると思います。

周りの人を愛しましょうという考え方や、やられてもやり返さないなど、人として大切なことを教えてもらいました。

中学時代には(聖書の教えを大事にしていたこともあり)正義感ゆえにいじめられていた時期もありました。保健室登校となっていた時期もあったが、意地でも卒業だけは絶対にしてやると思っていましたね。

そんな中、高校生の時には母親が重度のうつ病になってしまったため(辛い出来事が重なったことにより)、教会に通うといったこともなくなり、家族で助け合っていかねばと、バイト漬けになっていきました。

その後、自分は短大に行く(後に大学に編入する)ことになったが、妹2人は経済的事情などから遠慮して高卒で就職することとなりました。

そんな経緯もあり、絶対に大学で何か吸収しなくてはと、資格取得に力を入れたり、授業もしっかり出て、その後はバイトに明け暮れるといった生活でしたね。そんな中、短大と四年制大学では、就職の際に大きな差があることを授業で知り、四年制大学に編入しました。

 

就職活動の話が出てきましたが、「ジェイアール東海高島屋」に入社したきっかけや志望動機などを教えて下さい

経済的に自立出来ていないと、女性って自由を奪われるんだ、という思いが当時はあったので、女性だからと差別されるような会社は嫌だと思っていました。なので、(職種というよりも)女性でも活躍出来る会社、ということを就活の軸にしていました。

その中でいくつか内定をもらったのですが、実際にタカシマヤの売り場に行って、働いている方と話をしたところ、皆さんが楽しそうにしている姿を見て、自分もここで働きたいと最終的に決めました。

 

その後社会人になってから、ご自身もうつ病を経験されたそうですが、詳しく教えていただけますか?

入社3年目の時に、過労が原因でうつ病を発症しました。自分を追い込んでしまう癖があるので、頑張りすぎてしまったのかなと。食欲もなくなっていき、テレビを見ていても頭に入っていなかったりと、違和感のあることが増えていきました。

自分でも何かおかしいなと思いながらも、忙しかったので会社に言うことも出来なかったのですが、隣の部署の上司に大丈夫か?と言われ病院に行ったところ、すぐに休んで下さいということになり、3ヶ月ほど休職することとなりました。

 

※休むべき時に、休みたいと言えず無理してしまった経緯や、この後のインタビューで出てくる犬飼さんの心情の変化などが、僕自身の経験から以前書かせてもらった記事で伝えたいことそのままだったので、こちらも併せて読んでいただけたら嬉しいです。

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うつ病による休職期間中、どのような治療や行動に取り組んでいましたか?

薬を飲みながら、とにかく緑を見ましょうと言われていたので、公園によく行っていました。そうしているうちに、私がいないと仕事が回らないし迷惑もかけてしまう、なんて考えがあったのですが、大きい会社なんだしそんなことないなって思えるようになりました。

いい意味で、図太く開き直れる性格になったと思います。公園で自然を感じているうちに、せまい世界にとらわれていただけだったなって思うようになりました。

 

うつ病をきっかけに、犬飼さんの「人生」からみると1つレベルアップしたかと思いますが、幼少期や学生時代の(辛い)経験も含めて、得たものやプラスになったと思えることがあれば教えていただけますか?

乗り越えられないかもしれないと思えるくらいのことの方が、自分を成長させてくれた、と今では強く思います。

今振り返ってみると、そういった辛い出来事全てが、自分を形作っている肥やしになっているなと感じます。私もう無理かもしれないと思えるようなことの方が、何か学びがあったり、自分を成長させてくれるんだと思います。

神様は乗り越えられない試練は与えない、という言葉が好きなのですが、そういった意味では(私はちょっと人より苦労が多かったかもしれませんが)、神様は私に期待してくれているのかな、と思うようにしています。

うつ病を経験する前までは、自分にも他人にも厳しいタイプだったのですが、(例えば友達が甘いことを言っていたりすると、気合いと根性で乗り越えろよ!って思っていましたが)自分がうつ病を経験したことで、気合いや根性だけでは乗り越えられないこともあると分かりました。

そこで初めて、心が弱っている人の気持ちが理解できるようになりましたし、人に寄り添えるようにもなったと思うと、うつ病を経験したことはホントに心から感謝しています。

実は20代後半の時に婚約破棄された経験があるのですが(このことが原因でパニック障害も経験していて、2年間ほど睡眠薬を飲んでいた時期がある)、今思うと、例えば新居の決め事の時などに(相手のプライドをあまり考慮せずに)自分が突っ走ってしまっていたのかなと感じます。このことに関しても、そう思えるようになったことは、今思えば学びだったのかなと感じますね。

補足

話しづらいであろう内容まで、詳細に答えていただきありがとうございます。

(全部書いていいよ、とおっしゃってくれたものの)どこまで書くか迷う部分もあったのですが、「こういった辛い経験・挫折」があっても、いや、むしろ・・・、挫折があったからこそ!今の犬飼さんの成功(心からやりたいと思えることが出来ている)がある、ということを知ってもらいたかったので、ほとんどの内容を書かせていただきました。

犬飼さんのこの人生の流れを知ってもらうことで、勇氣をもらえる人が間違いなくいるはず!と信じて書かせていただきました。インタビューはまだまだ続きます、ここから犬飼さんの人生は、さらに加速していきますよ!笑

うつ病を克服し、復職。そして、広報の部署へ配属。

復職した後は、婦人服の売り場で働くようになりました。四大卒ということもあり、マネジメントの仕事をして欲しいという空気感はあったが、自分はやっぱり現場で働くことの方が好きだなと改めて思えたので、うつ病もしたし開き直って、自分の好きなことをしたい!と接客のできる現場を希望しました。

その後、働いていたブランドが撤退したことをきっかけに、5年目の時に広報へ異動することとなりました。その当時はまだ、広報って何ですか?って感じでしたね(笑)

※インタビューを進めていくうちに、ちょうど犬飼さんが広報となった2006年に、チョコレートイベントの名称が「アムール・デュ・ショコラ」へと改称されたことが分かり、運命でしたねと盛り上がりました(笑)

当時はまだ、広報としてアムールに力を入れるという雰囲気ではなかったですが、同期のバイヤーが、「アムールの会場を花火大会のようにしたいんだよね」と言っていて、その言葉に感動し、私も広報としてその想いに応えていきたいという気持ちになっていきました。

そして本気で取り組んでいくと、アムールというイベントがもつ魅力がみえてきて、それを広報として伝えていきたい、という想いになっていきました。

 

「アムール・デュ・ショコラ=犬飼さん」というイメージが出来上がるほど、その後大成功のイベントへとなっていきましたが、これまでの苦労や経験が、プラスになったエピソードはありますか?

これまでの人生の経験というよりは、広報になってからのクリスマスケーキの体験から、「人にフォーカスする」という広報のスタイルが身についていったことが、一番大きなことだった思います。

今でこそ人にフォーカスした広報戦略は一般的となりつつありますが、15年前からこのスタイルで行ってたいたというのはすごいね、とよく言われますね。

機能的価値よりも「情緒的価値」を伝える大切さが分かり、そちらの方が人の心も揺さぶるし、自分自身も揺さぶられていると感じました。そういったことから、アムールでも、シェフの「本当の姿・キャラクターの部分」によりアプローチしていく、というスタイルをとっていきました。

「クリスマスケーキの体験」とは

「クリスマスケーキの体験」という発言がありましたが、これは、ケーキの売場担当者の方が、夏場からクリスマスソングを聞きながら何ヶ月も前から準備していたことを知り、衝撃を受けたというものです。

「担当者の想い」を伝えたいという気持ちが生まれ、テレビでも密着取材されることとなりました。その結果、お客様の反応が変わり、売場担当者の方も喜ぶ結果となりました。この経験から、担当者(人)の想いや熱意を伝えていくという「広報の本質」を知っていったという意味では、犬飼さんにとって、ひじょうに重要なエピソードとなります。

この話は、犬飼さんの書籍「Passion Relations」の中にも詳しく書かれています。

広報において、「人の想い・情熱」にフォーカスしていく重要さに氣付いた犬飼さんでしたが、売場担当者の方の話を聞いて、感動&それを伝えたいと思えたのは、そもそも犬飼さんにそういった素養が備わっていたからこそだと思います。同じエピソードからでも、人によって受け取り方は様々だと思いますので。

そういった意味でも、聖書から学んだ人を大切にするという姿勢や、学生時代やうつ病などの辛い経験から、人に優しくなることが出来るようになったという、これまで歩んできた人生の中で自然と培われてきた人間性があってこそ!なのだと感じます。やはりここでも、人生において無駄なことは何一つ無いんだなと、個人的には思わされました。

息子さんについて、発達に特性があるということですが、そのあたりについてお聞かせ願いますか?

発達に特性があるかも(以降、発達凸凹と表現します)ということが年少の時に分かり、グレーゾーンの部分も多いのですが、一応小学生の時に診断されました。自分でいろいろ調べていくと、ほとんどネガティブな情報ばかり出てくるのですが、その中で「エジソンの母」のエピソードに出会いました。

「エジソンの母」のエピソード

息子さんに障がいがあるので、うちでは面倒をみることが出来ない、という手紙を学校からもらったそうなのですが、エジソンの母は、「エジソンが天才すぎるから」という理由に変換して本人に伝えました。そして学校をやめて、その分得意なことを伸ばしていこう、とエジソンに伝えたというエピソードです。

これを知って、私も息子を信じることにして、みんなと同じじゃなくてもいいから、何か好きなことを見つけて、それだけでいいから頑張りなさい、という教育に変えました。

息子にそう伝えているうちに、じゃあ私自身はどうなのかな?と思うようになっていきました。三姉妹の長女でしっかり者でいなければ、みんなの期待にこたえなくてはと、どちらかと言えば他人軸で生きてきたことに気づきました。

そういった意味で、自分軸で生きていかなきゃ、自分の意思で人生を進めていかなきゃと、結果的に息子から教えてもらうことになりました。

 

独立・起業することになった、きっかけ・経緯などを教えて下さい

この頃(少し前から)、会社からは管理職になってほしいと言われていた時期でしたが、自分は広報として現場で働きたいという想いがあったので、(息子に言っていたように)自分のやりたいことをやるために退職をしようと決意することになりました。

最初は起業しようとか、法人化してバリバリやろうと思っていたわけではなかったです。どちらかといえば、息子のことをきっかに、人生の舵を自分でと思っただけで、何か大きなビジョンを持っていたわけでもありませんでした。それこそ、法人化したきっかけは、KADOKAWAさんと一緒に仕事をしていくことになった時に、法人化してほしいと言われたことが理由でした。

ここでも、息子さんに発達凸凹があるという、一見ネガティブな出来事をきっかけに、次のステージに進んでいくことになったということが分かると思います。まさに、犬飼さんの人生にとっては、「必要なこと」が起きていたのだなと思わされます。

もちろん、目の前で起きている出来事に対して、しっかり向き合い、前向きに進もうという意志があってのことではありますが。

息子さんが通う「佐屋少年野球クラブ」に関するエピソードを教えていただけますか?

マラソン大会で1位をとるなどしていたので、スポーツで光るものがあるのではいかと思い、いろいろ勧めてはみたものの、何か新しい環境に入ることが苦手だったため、本人は乗り気ではありませんでした。

そんな時に、たまたま友達に誘われてやった野球で結果を出したことで、その成功体験から、初めて自分から「野球をやりたい!」と言ってくれました。そして、「佐屋少年野球クラブ」には2022年6月に入部しました。

涙が出るほど嬉しかったのですが、地元の野球チームに入ったら、人数的に存続の危機だという状態でした。そこで、広報が得意なのでやらせてもらえませんか?と立候補しました。

もうこれは、親としての息子への情熱だけでしたね。せっかく息子がやりたいことを初めて見つけてくれたので、そこで輝ける環境を整えてあげたい、それだけでした。

野球に出会ったことで、いろいろな成功体験を積み、自己肯定感も上がっていきました。そのおかげで授業への姿勢なども変わっていき、結果的に特別支援クラスを卒業することにも繋がりました。

この経験から、改めて思ったのが、「信じてくれる人」と「ふさわしい環境」さえあれば、人は変わっていけるんだなと思ったし、もっと社会全体に寄与していきたいとも思うようになりました。

僕自身、犬飼さんに興味を持ったきっかけがココでした!発達凸凹の息子さんがいて、その息子さんがやりたいことを楽しくやれるようにするため、野球クラブの広報をしていることを知ったからでした。

自分自身が病気を経験したことで、病気や障がいがある方に目がいくようになりましたし、「野球」を絡めることで、そういった人達にパワーを与えることを今後していきたい!とずっと想ってきたので、犬飼さんはまさにそれに近いことを体現しているなと感じていました。

大企業の広報をしていて、しかもアムールという大イベントを成功させたような方が、少年野球の広報をしようとは普通思わないですよね。そこには、息子さんへの愛情があったからこそであり、ある意味偶発的な出来事だったと思います。

そして実際に、「佐屋少年野球クラブ」の部員の人数が今ではかなり増えており、まさに広報の力で人を呼ぶことに成功したわけです。

広報の力が、まさか少年野球にまで及ぶとは正直思わなかったという話もチラッと出ましたが、息子さんへの愛情から始まったことがきっかけで、結果的にはまた、犬飼さんの広報としてのステージを1つ上げることになったと考えると、いろいろ考えさせられる出来事ではないかと、個人的には強く思います。

発達凸凹の息子さんを授かったことで、「人生」という視点から考えた時、良かったことや得たものはありますか?

起きたことは全部、必然であって、私にとってはどれ一つ欠けてはいけなかったのかなと思います。今考えてみると、息子のことに関しても、発達凸凹の子を授かったわけですが、逆に息子が自分の人生の道しるべになっているとも感じますし、すごく導かれた人生なのかなと思いますね。

そういった経験をしたことで、結局は「今」が一番、自分らしく生きていることが出来ていると思います。息子に対して、人と一緒じゃなくていいから何か1つ一生懸命やりなさいと言っていたのは、自分に対しても、自分の心に正直に生きていきなさいと言っていたのだなと思います。自分に問うていたのかなと。そして、自分の「本当にありたい姿」にたどり着くことが出来たのかなと感じます。

 

今後の展望・やっていきたいことが何かあれば教えて下さい

性別とか特性とか関係なく、1人1人が輝けるような社会の実現に寄与していきたいと思っています(会社名もそういった想いで付けている)。それは、広報という手段ではなくてもいいと思っています。

「信じてくれる人」と「ふさわしい環境」さえあれば、人は変わっていけるということを、自分の息子のことで確信したので、息子は野球を通して輝ける「場所」を見つけることができましたが、同じように辛い状況のママさん達も多いと思うので、「場所」を見つけるようなことが出来る社会を実現していけるよう、自分も行動していきたいですね。

実は今、そういったことを出来るかもしれない話が進んでいるので(引き寄せのようにやって来た)、また具体的に話せる段階になったら楽しみにしていて下さい。

 

最後に、現在病気や障がいなどを抱えている人にメッセージをいただけますか

苦労の渦中にいる人は(私も、うつ病やパニック障害の渦中は)、ホントに苦しくて乗り越えられないかもしれないという状態かもしれません。でも、それを乗り越えられれば、そういった苦労がすごい人生の財産になっていくと思うので、むしろ今の苦労は、自分の人生にとってありがたい経験なんだと思い、その先にはもっと分厚い人間になれるんだぞ、と思ってもらえたら嬉しいですね。

私の好きな言葉が「幸せはいつも自分の心が決める」なのですが、世の中にはもっと苦しい人もいて、やっぱり自分の心の持ち方次第で、幸せや人生も変えられると思います。

息子にもよく言っているのですが、渦中にいると視野がすごく狭くなってしまうので、俯瞰して物事を見られるようになれるといいのかなと思います。

 

今回インタビューをさせてもらった感想

まずは、大変お忙しい中、インタビューを受けて下さり感謝しております。「押しが強すぎる広報」と呼ばれていただけあり、インタビューをしていても、犬飼さんの持つ勢いを感じずにはいられませんでした。でもその中に、同時に「優しさ」がまじっているんですよね。

インタビューの中で、以前は自分にも他人にも厳しかったという言葉が出てきましたが、そういった厳しさを持っているからこそ、タカシマヤ時代も現在においてまで、数々の実績を作ることが出来たのだと思います。

その一方で、幼少期や学生時代の辛い経験、そしてうつ病などを経験したことで、人の氣持ちに寄り添えるようになった、つまりは、広報として一番大切な「人の感情や想いをすくいとり、それを多くの人に届ける」といったことが、自然と出来るようになっていったのだと思います。つまりは、「スーパー犬飼さん」になったわけですね!笑

また、「信じてくれる人」と「ふさわしい環境」さえあれば、人は変わっていけるという言葉が何度も出てきましたが、僕自身も同じような想いを持っています。もっと言うと、考え方を少し変えるだけで、ちょっとした「きっかけ」が見つかるだけで、人生は大きく動き出していくのではないかと思っています。

だからこそ、そんな「きっかけ」や「輝ける場所」を見つけられるようなヒントになってくれたら嬉しいという想いで、こういったインタビュー記事を書いています。

僕自身、現在の状況は決して望んだものではないですし、正直辛い・悔しいことの方が多いです。それでも、誰もが出来るわけではない、病気という経験を10年以上もさせてもいらっているわけですから、現在はブログという手法ではありますが、これからもいろいろな選択肢を考えながら、もっと「行動」もしていかないとな、とも思わせていただきました。

冒頭でも書きましたが、「人生において無駄なことは、何一つ起きない」ということを、犬飼さんの人生は体現してくれていると思います。同じような考えやビジョンを持っていて、実際に行動にもうつしている犬飼さんのインタビューは、僕自身にとっても聴き応えがありました。

「人生において無駄なことは、何一つ起きない」というのは、有名な故事ことわざに言い換えるならば、「人間万事塞翁が馬」ということだと思います。

くしくもタイミングよく、来年2026年の干支は「午年(うまどし)」です!犬飼さんのように、一見ネガティブにみえる経験を、後にプラスにしていけるような1年にしていけるよう、みんなで一緒に頑張っていきましょう!

 

ほとんど笑い無しで、最後まで突っ走って書いてきましたので、最後の締めは、なかなか馬く(うまく)出来たのではないでしょうか?どうでしょう?(笑)

過去最高の長文記事になったと思います。それでは、最後まで読んでいただいた皆さん、ありがとうございました!

 

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