病気から学んだこと・考え方

【東大出身者が語る】双極性障害(躁うつ病)を抱えながらも、行政書士として事務所を開業!その先の展望も(30代男性・Mさん)

 

こんにちは、ゴローです。

インタビュー企画第2弾ということで、双極性障害(躁うつ病)と現在も付き合いながら、自分の道を切り拓いてきた中学高校時代の友人に話を聴いてきました。

中高時代の友人とはいうものの、まともに話すのは中学1年生の時以来なので、約25年ぶりの再開となりました(笑)

むしろ、こんなにじっくり話をしたことはおそらく初めてだったと思うので、お互いが病気を経験していなければ交わることはなかったと思います。病気がもたらしてくれた1つのメリットと言いましょうか、こういったことを「縁」と言うのでしょうね。

 

①病気をする前、何をしていたか?

東京大学に入学し、普通の学生生活を過ごしていた。ただし、大学入学後すぐに、勉強を中心とした学生生活であった。(あくまでも僕のイメージではあるが)一般の大学生の、遊んでばかりいる自由な学生生活とは、少し様子が違ったようである。

補足

東大入学時は、学部に所属するわけではく科類に属している。いわゆる文科1~3類・理科1~3類と呼ばれるもの。大学3年時(2年次後期)より学部への振り分けがあるため、1~2年次に勉強をする必要があるといった事情もある。

②病気になったのはいつ頃?病名・原因などは?

大学2年生の時に、何かおかしいと病院に行ったところ、うつ病と診断された

原因としては、科類時代の点数が良かったため、一番レベルの高い学部に入ることが出来た(出来てしまった)が・・・、周りのレベルが高すぎて打ちひしがれてしまった。

 

③どんな症状があった?

うつ病の薬を飲んでいれば治るよ・・・という話ではあったが、何かおかしいなといった状態のまま大学を卒業することとなった。

症状としては、摂食障害で食べることが出来なくなり、40kg台前半まで落ちていった。他にも体が重く感じたり、モノトーンの世界にいるような感覚だった。オーケストラのサークルにも所属していたが、まともに楽器を持てないような状態になっていた。

 

④どんな治療をしていた?環境・病名の変化も

その後も体調は良くならないまま、大学を卒業したこともあり、地元愛知県に戻ってきた。

これを機に病院も変わり、双極性障害(躁うつ病)2型と診断された。うつ病の頃とは薬の内容もガラッと変わり、薬になれるまでは入退院を繰り返していた。

補足

双極性障害の薬を飲み、じょじょに症状が落ち着いていったことで(薬が効いたことで)最終的に確定診断となった。

双極性障害とうつ病とでは、似ているような印象があるものの、メカニズムも薬も全く違うものである。そういった意味では、うつ病と診断されていた頃は、飲まなくてもいい薬を飲むことで、さらに悪化して入院するといったこともあったようだが、この辺の話は難しい部分があることも確かである・・・。

⑤病気と付き合いながら、どんな人生を歩んできた?

※双極性障害2型と診断されてから、今回僕と会うまで10年以上が経過しているが、その間の歩みについても聴いてみました。

 

仕事面においては、就職活動もかなり勢力的に動いていたものの、病気のこともあり、なかなか縁が無かった。そんな中、司法書士の資格勉強をしながら、家庭教師や塾講師で生計を立てていた。ホストをしていた時もあったという裏話も飛び出した(笑)

その後、26歳の頃に自動車部品の会社に就職することとなる(障害者雇用枠にて)。しかし3年程経った頃、会社の事業部が無くなったことをきっかけに辞職することとなった。

そんなこともあり、会社もあまり当てにならないという想いから、行政書士の資格を取得した。取得後も、30歳前後でバイオ系の会社などに就職したりもしていたが、パワハラ・暴力などもあり3年程で退職。その間、体調悪化で入院することもあったそうである。

その後いよいよ、行政書士として自分の事務所を開業した。最初は自宅での開業となったが、タイムリーなことに、インタビューをさせてもらった2024年5月から丸の内にて事務所を構えている。

一方、プライベート面においては、27歳の時に結婚しその後離婚を経験するも、これまたタイムリーなことに、近々再婚予定だということである。お相手は、趣味である音楽関係で知り合った方。一緒にコンサートを開催したりもしているということで、充実しているようであった。

 

⑥今後の展望・野望はある?

20代の頃に資格取得を目指していた司法書士の勉強を現在している。試験の出題範囲も必要な勉強時間も、行政書士試験より圧倒的に大変ではあるが、やはりここを目指したい。

補足

行政書士の主な仕事としては、官公署に提出する書類作成や手続き業務となりますが、司法書士であれば、登記の申請業務や供託業務をすることが出来るようになります。仕事の幅が広がる(最後まで業務を行える)ことは大きなメリットですね。

業務上のメリットという事だけでなく、話を聴いていくと、中学生の卒業論文の際に「司法書士」になりたいということを書いていたそうだ。初志貫徹である!

この話を聞いてドキッとしたが、筆者の僕はというと、野球選手になりたいとか、ドラゴンズの記事を書きたいとか、そんな「夢」みたいなことを語っていた記憶がある(苦笑)いや、今の時代はどこで何が起きるか分からないし、目指してみようかな!?笑

 

⑦病気を経験して何か変わったことはある?

人を哀れむことが無くなったかな。それは他人のことだけでなく、自分に対しても。理想としては、自分も含めた病気のある人が、病気や障がいがあると気づかれないように生活できる世界がいいかなと。それが本当の意味でのユニバーサルな世界だと思う。

自分が病気を長い間経験してきた中で、そんな風に感じられるようになってきた。

補足

物理的な障がいや違いはともかく、マインドの面での話だということですね。自分には障がいがあるとか、あの人は病気だとか、そんな部分に目がいかないような世界(社会的マインド)であるといいですよね。細かい「違い」の部分に目を向けるのではなく、もっと俯瞰的な視野で世界を見られるようになると良いのではないかと思います。

⑧最後に、現在病気や障がいなどを抱えている人にメッセージはある?

自分の人生を悲観せず、病気に打ち砕かれず、かと言って打ち勝とうともせず、自分らしく自然体で生きていってほしい!

そんな風に、世間に対して生きていくことが出来れば、人生楽しくなると思う。病気などを経験した我々が、それを社会に広げていってほしいと思う。

 

⑨今回インタビューをさせてもらった感想

まずMさんは東京大学出身ということだけで、一般的にインパクトがあるのではないでしょうか。世間一般的にはうらやましい・成功者という声もあるかもしれませんが、逆にそれがきっかけで病気を発症することとなってしまいました。

しかしそれは、東大に入ったことが良かった悪かったという話ではなく、Mさんにとっては「そういった人生・タイミング」だったということです(運命的な話をしているわけではありません)。

実際、病気とうまく付き合っていきながら、自分なりの生き方を見つけていったことが今回のインタビューから分かったと思います。企業に就職したり、時にはホストまで経験してきたわけですから(笑)

そんな中、個人事務所を開くことで、自分のペースで働いていく道を探し出すことが出来たのだと思います。趣味である音楽活動も継続しており、パートナーとも活動出来ているというのは、充実している証拠だと思います。実際に、体調の方も現在は安定しているということで何よりです。

Mさんの場合は双極性障害(躁うつ病)ですが、いろいろな病気・障がいを抱えていることが障壁になっている方も多いと思います。でもMさんのように、病気になったら終わりということではなく、時間がかかってもいいので「自分なりの道」を探し出していくことが出来れば良いのではないでしょうか?

このインタビュー記事が、そのように思える一助になってくれたら嬉しく思います。

 

それでは、本日も最後まで読んでいただいた皆さん、ありがとうございました!

 

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