禅語・禅の心・仏教

禅語・禅の教えから学ぶ、「いま・ここ」を大切にし日常生活を豊かにする生き方

禅語

こんにちは、ゴローです。

本日の記事では、言葉の力シリーズとして、「禅語」を中心にお届けしていきます。

禅の教えに触れることで、当たり前のことに氣付かされることが多くあります。人によっては、そこから感謝が生まれることもあるかもしれません。人によっては、そこからリラックスを感じとることもあるかもしれません。

僕自身は、中学・高校と仏教系の学校に通っていたため、禅の教えに馴染みはあった?ものの、病気を経験するまでは、ありがたさを感じることもほとんどなく、日常に取り入れるどころか、思い出すことすらほとんど無かったと思います。

「禅」と聞くと、難しいイメージもあるかもしれませんが、実は身近なところにあって、日々の暮らしと結びついているものと言えます。

たとえば、家に入る時、脱いだ靴をきちんと揃える、食器を丁寧に洗う、そんなこともまた、禅の教えを日常的に行っているということになるのです。

それでは、いくつかの「禅語・禅の教え」を紹介していきます。

 

飲むこと・食べることに集中する(喫茶喫飯)

 

「喫茶喫飯」

余計なことを考えず、お茶をいただく時には、お茶を飲むことだけに集中し、ご飯をいただく時には、ご飯を食べることだけに集中する。

 

実にシンプルな教えですので、日常に取り入れることも簡単ではないでしょうか。この「あたりまえ」のことを、大切かつ丁寧に実践することで、「いま」・「ここ」だけに集中していく。そうすることで、余計な不安や悩みが減っていき、心が整っていくのです。

「マインドフルネス」という言葉を耳にすることも多くなってきましたが、こんな風に、丁寧にお茶を飲み、ご飯を食べる、その行為自体もマインドフルネスな行為と言えます。

 

「いま」に集中する(一息に生きる)

 

「一息(いっそく)に生きる」

ひと呼吸するその瞬間、瞬間を一生懸命に、丁寧に生きなさいということ。

 

過去の出来事を思いだしてクヨクヨしたり、落ち込んだり・・・

そんな風に、過去に縛られた経験をすることも多いと思います。過去にいつまでもこだわっているというのは、「いま」の生き方に対する自信のなさを表明しているようなもの。現在の自分を蔑ろにしているとも言えます。

私たちには、「いま」をどう生きるかしかないのです!「いま」出来ることに集中していくことが、私たちにとって重要なことなのです。

僕自身、病気になる前の過去と比較してしまうと、出来ないことだらけです。昔はこれが出来たのに!何で今はこんなことも出来ないんだ!こういった葛藤を、完全になくすことは難しいと思います。それでも、3年前と比べたら出来ることが増えています。

今を大事に生きていれば、必ず成長できるということです。結局、「いま」をどう生きていくのか!「いま」を一生懸命生きていくこと!の連続が人生なのだと感じます。

 

心を整える場所・時間をつくる

 

「ご先祖様に手をあわせる」

 

ご先祖様に手をあわせるというのは、単なる儀礼的なものではありません。この行為は、代々受け継いでくれたことにより、自分がいただいている命に対する感謝、生かされていることへの感謝をご先祖様に伝えることでもあるのです。

こういった行為や時間を持つことが、心を整える機会に他なりません。それは、仏壇の前だけに限ったことではありません。ゆかりのお寺や神社に行って、手をあわせることでもいいのです。

僕が寺社仏閣のお遍路を始めたことも、この考えが理由の一つにあります。生活空間に、ほんのわずかでもいいので、そんな場所があると、心の在り方も変わってくるのではないかと思います。

 

「あたりまえ」を見直す・感謝する

 

「あるべきものが、あるべきところに、あるべきように、ある」

 

これは、曹洞宗大本山永平寺の貫主を務められた、宮崎禅師がおっしゃっていた言葉になります。このあたりまえの在り様こそ、禅の悟りそのものですよね。

「いま」「ここ」にあるあたりまえのことに、どれほど自分が支えられているか、あるいは、癒されたり、勇気づけられているか。このことに氣づいていくだけで、心の在り方が変わってくると思います。

僕は、親がいるから、病気になっても生活出来ています。車いす遍路の挑戦や、外出すること自体、親の助けがあるから出来ているわけです。友達に関しても、病気になった後も今まで通りです。離れていったりしませんでした。

ベッドの上で横になっていることしか出来なかった僕が、座ったり、少し歩いたり、車椅子を使って外出することも出来るようになったわけです。

こういった全てのことが、「あたりまえ」なことではなかった!と氣づかせてもらえました。そういったことに、病気が治った後も感謝していける人間でありたいと思います!

 

夜を静かに穏やかに過ごす(夜坐)

 

「夜坐(やざ)」(夜の座禅)

 

曹洞宗の大本山である永平寺や總持寺では、午後八時頃から、夜坐をすることで、心を静めて床につくのが、修行僧たちの毎日の決まりとなっているそうです。

ほとんどの人が、昼は忙しく過ごしていると思いますので、夜坐とまでは言わないまでも、夜の時間は、静かに穏やかに過ごしてみてはいかがでしょうか。

スマホやパソコンなどから情報が入ってくると、いやでもそれについて考えたり、揺さぶられたりしてしまうものです。そういった情報は、夜は遮断すると決めることも一つの方法だと思います。

何をするでも良いと思います。自分にとってリラックス出来ること、心地良いことに時間を使ってみて下さい。自然と心が穏やかになり、睡眠の質も変わってきます。翌日への影響も変わってくると思います。

夜を静かに穏やかに過ごす、これもまた、禅的な過ごし方と言えるのです。

 

「禅の教え」まとめ・メッセージ

以上、禅の教えに繋がる「禅語」を、いくつか紹介させていただきました。このような禅語もまた、「言葉の力」として発揮され、心身の健康に繋がっていくと感じます。こういった考え方の中に、私たちの生活を豊かにしてくれるヒントがあるはずです。

また、僕の場合は、病気を治すためのヒントが、禅の教えの中にある!と感じて取り入れてきました。むしろ、「病気にならない」ためのヒントこそ、禅の中にはたくさん隠されているとも感じます。

ここで触れてきたことは、ほとんどが「あたりまえ」のことであり、日常生活において、簡単に取り入れられることだと思います。この記事を読んでいただいた方の、日常生活の参考にしていただけたら幸いです。

この記事は、以下の書籍を参考に書かせていただきました。

  

 

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